悪癖について話そうと思う。

Mogmogの編集長からなんでも書いていいよってお墨付きを(?)貰ったので、この際あんまり人に話してこなかった悪癖について話そうと思う。

今晩も、マウンティングが基本装備となったSNSを漂い、今日も背景や服の柄が変形しているほど加工を重ねた女の写真を探してしまう。
あ、電柱ゆがんでる。ガードレール曲がってる。ボーダーが不自然・・・と。

最近特にハマっているのは、高いヒールで決めた人のヒール部分をトリミングして本来の脚の長さをみること。


こんなキラキラした人も

現代版纏足を脱げば、この通り

これでどこまででも歩ける、有害なキラキラも消えた。

より白く、より細く、より可愛く、より“いいね”を求めて画素数を落としまくる彼女(最近は彼も多いが)たちが夜な夜な真っ暗な部屋の片隅で、
ブルーライトに照らせれている様子を想像するとなんだか安心するのだ

粗探しって言ったらそれまでのだたの悪趣味なんだけれど、人工的に作っているものの先にある人の存在を感じることができるから、僕にとっては必要な無駄な時間。
このことを誰かに説明するために、コンビニのおにぎりについての持論を用いて弁解しようと思う。

無数に並ぶパッケージの冷たいおにぎり。梅、シャケ、おかか、昆布。オムすび。卵かけご飯風。
味は変われど、僕はこれをほとんど毎日食べている。

これはどこかの工場でベルトコンベアの上を流れて成型されたもので、誰かが握ったものではない。
けれど、考えてみればその機械を作ったのは人間だし、添加物たっぷりだとしてもその化学物質を生み出したのも人間だし・・・引いて見たら「誰か」の手作りに変わりないように思える。そのことがちょっとした希望。

 

既製品がどんどん規制されて、化学も文明の歩みも想像以上のことはしにくくなってきた。
誰も傷つけずにその時々で自分に良いものさえ選択できればいいのに、と思う。

 

画面の向こうで生身の人々は、自分なりに自分自身をカスタマイズして、レディメイドしていている。
それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。でも、それが自分自身を癒すなら誰にも止める権利なんてないし批判する理由にもならないだろう。

 

ありがとう、そのままでいて。ついでに僕を救って。